はじめまして。


BL小説を書いております、やぴと申します。
こちらは男同士の恋愛小説となっております。
ストーリーの関係上、性描写があります。
ご理解いただける方のみ、自己責任において閲覧ください。
実際は小説と呼べるほどのものでもなく、趣味で書いていますので、稚拙な文章ではありますが楽しく読んで頂けると幸いです。

コメントなど気軽に頂けると嬉しいです。
誹謗中傷などの心無いコメントは当方で削除させていただきます。ご了承下さい。

迷子のヒナ 241 [迷子のヒナ]

ジャスティンは忽然と姿を消したパーシヴァルの事など気にも留めなかった。

気になるのはヒナのことだけ。

弁護士からの報告をじりじりと待っていたにもかかわらず、その日は取り急ぎの報告さえなかった。

翌日の午後になってやっと、未熟な弁護士が保護者を伴ってやって来た。

どうしてまた公爵も一緒なんだ?という疑問は頭の中に仕舞い込み、愛想笑いのひとつでも披露してやろうかと思っていると、勉強中のはずのヒナがバタバタと駆けこんできた。

まるで寝起きのようなくしゃくしゃ頭に半月型の櫛を挿し、わずかに息を乱れさせ、頬をほんのり上気させている。

ヒナも報告を待ちきれなかったのは分かるが、ジャスティンとしては弁護士の話を直接聞かせたくはなかった。伯爵との面会がうまくいっていたとしても、ヒナが傷つくような事がひとつやふたつは必ずあるはずだからだ。

「アンディいらっしゃい!」

まるで友達を迎い入れるようなごきげんなあいさつだ。

「お邪魔してます、ヒナさん」とにこやかに返す弁護士。「いまはお勉強中だと伺いましたが?」

まさにその通りだ。

「そうだ。ヒナ戻りなさい」ジャスティンは厳しく言った。ここでヒナに甘い顔をしてはダメだ。

「もう、終わったもん……」とふくれっ面をして、もじもじと身体を揺するヒナ。

随分とおねだりのコツを掴んだものだ。だが嘘はいけない。

「ミスター・アダムスはまだいるだろう?」昨日延長したぶん今日はさっさと帰って欲しいところだが。

「先生はもう帰った。今日はお母さんを歯医者に連れて行くんだって」ヒナはややムッとしたように反論し、嘘つきだと決めつけたジャスティンに非難の目を向けた。

ジャスティンはたじろいだ。いままでヒナにこんな目で見られたことはあっただろうか?いや、ない。あるはずがない。ヒナはいつもうっとりと崇めるような――多少はジャスティンの希望も混じってはいるが――視線しか向けてこなかった。

「でも、ヒナ……」言葉が尻すぼみになる。ショックのあまり二の句が継げない。

「ヒナも聞きたい。おじいちゃんがヒナのことどう思っているのか」

もう子供じゃないもんと言われた気がした。

ジャスティンは諦めの混じった溜息を吐いた。ヒナの言う通り、ヒナはもう子供じゃない。祖父が自分を見捨てたことも知っている。

だからといってヒナが傷つくのを黙って見ているつもりか?

そんなつもりはないが、ヒナは言い出したら聞かない。
とにかくすべてを丸く収めるためには、ここはジャスティンが折れるしかないのだ。

「ヒナ、ここへ来なさい」

隣に座るように促すと、ヒナの目にまた敬愛の火が灯った。

ああ、よかった。

ジャスティンがホッと胸を撫で下ろしたとき、公爵がほくそ笑んだように見えたのは気のせいではないだろう。

きっと彼はこう思ったはずだ。

手のかかる子ほど愛しいというものだ。

つづく


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迷子のヒナ 242 [迷子のヒナ]

ジャスティンは弁護士を見送るヒナの手をぎゅっと握り締めた。

よわよわしく「バイバイ」と言って、公爵家の豪華な馬車に手を振るヒナは今にも泣きそうだ。

だから言わんこっちゃない。

ジャスティンは馬車が見えなくなると、繋いだ手を離さずにヒナを抱き上げ邸内へと急いだ。ホームズも心配顔で素早く玄関扉を閉じ、あとに続く。

「ヒナ、おやつにしようか?」これで少しは元気を出してくれるといいんだが。

ジャスティンはヒナを連れ、居間へ入った。ここは家族が集う場所だ。ヒナが気分を落ち着けて、思っている事を口にしてくれることをジャスティンは期待した。

ヒナはショックを受けていた。それもそのはず、まだ見ぬ祖父から会いたくないと言われたも同然だったのだから。

あのくそ弁護士も、もう少し気を遣った表現が出来なかったのか?まるで一語一句間違えてはいけないかのように、馬鹿丁寧に冷酷無情な老人の言葉を繰り返しやがって。

ラドフォードのやつはすべてを認めると言ったらしい。娘が結婚した事、孫がいる事、そして里帰りの最中、事故で娘夫婦を亡くした事。もちろんいまさらわざわざ公にする事はないが、法的な手続きの上では真実を述べることを約束したらしい。

だが、ヒナが遭遇した事故について、ラドフォードは知らぬ存ぜぬを突き通したそうだ。どうやって事故を知り、遺体を引き取り埋葬したのかも、詳細は明かさなかったようだ。

到底見過ごすことのできない事件だが、ヒナの両親の眠る場所がわかっただけでも、ひとまずよしとすべきだろう。

ことを急いてはすべてが台無しになる可能性もある。

ヒナには悪いが、ジャスティンはホッとしていた。もしも伯爵がヒナを引き取ると申し出たらどうしようと気が気でなかったのだ。ジュスといる!とヒナは簡単に言うかもしれないが、法的にはジャスティンには何の権利もないのだ。それどころか三年も存在を隠しておいたことを咎められる可能性だってあるのだ。いくら向こうがヒナを捨てたからだと主張しても。

「さあさあお坊ちゃま、シモンがお坊ちゃまの好物をたくさん用意していますからね。ああ、そういえば。アイスにはチョコレートソースをかけるのか、いちごのソースをかけるのかシモンが迷っていましたよ。どちらにされますか?」

ホームズもありったけの優しさと温かみを持ってヒナに接した。口を堅く閉ざしているヒナも、アイスの魅力には抗えないはずなのだが。

椅子に深く腰掛け、繋いだ手を離そうとしないヒナが「いちご」と呟いたのを聞いて、ジャスティンは思わず会心の笑みを湛えずにはいられなかった。

ホームズの作戦勝ちだな。

つづく


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迷子のヒナ 243 [迷子のヒナ]

デザートが運ばれてくると、ヒナはいとも容易くジャスティンの手を離した。

いつものことなのだが、ジャスティンはちょっとばかし消沈してしまう。

ジャスティンにとっての一番はヒナなのに、ヒナにとっての一番はいったい――

などと考え始めたら、もう落とし穴に落ちたも同然だ。二度と這い上がることが出来ずに、一生もがき苦しむことになる。

「ねえジュス!見て見て。これすごいよ」

さきほどまでの沈鬱な雰囲気とは打って変わっての上機嫌さで、興奮気味にジャスティンの袖を引っ張るヒナ。

いったい何がすごいのやらと、ジャスティンはヒナを見る。袖口を掴むヒナの手を握り、興味の矛先に視線を向けた。

そこはヒナの好物でいっぱいだったが、とりわけ目を引いたのは貴婦人の宝石箱。のような箱に入った、宝石のようなチョコレート。

「これはどうした、ホームズ」買った覚えのない代物に、ジャスティンは警戒した。ここではシモンが用意したものか、ジャスティンが買って来たものしか出さない事にしている。

「公爵様の手土産でございます。お坊ちゃまにぜひとのことです」ホームズは報告が遅れたことにうしろめたそうな顔をしつつも、ヒナの輝くばかりの表情に目配せをした。

お坊ちゃまの喜びようを見てください、とでも言うつもりか?

「エディのおみやげ?ヒナが全部もらっていいの?」

ホームズが頷き、ジャスティンもヒナのきらきらの瞳を見つめ頷いた。

ヒナが歓声を上げる。

ジャスティンは顔を引きつらせながら、なんとか笑みを形作った。

ヒナが公爵をエディと呼ぶのも気に入らないし、公爵がヒナの好物を贈ったという事も気に入らなかった。

「ああ、ジャスティン。公爵はもうお帰りに?」呼吸を乱れさせ、急いた足取りで居間へ入ってきたジェームズが、唐突に尋ねた。白い肌がより一層白く見える。蒼ざめているのか?

ここ最近のジェームズはなにか心配事を抱えていて、ろくに顔も見せない。今朝も朝食の席には現れず、この日初めて会う。

「ジェームズ、どこへ行っていた?」

「仕事に決まっているだろう?いったい僕がどこへ行くっていうんだ。それより、公爵はもう帰ったんだな」くそっと悪態を吐き、ジェームズはぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。

この美しい男は、髪が乱れたくらいではなにも損なわれない。ジャスティンは時々羨ましくなる。が、こういうのはヒナのタイプではないのだ。美しさよりも力強さが重要なのだ。

「帰ったよ」とヒナ。チョコをとられやしないかと警戒に目を光らせている。

ジャスティンは笑いながらジェームズに「いったい公爵がなんだって言うんだ?話は後で聞かせてやるぞ」と言って、宝石箱に蓋をしてやった。

ヒナは感心したように目を見開き、まずはアイスの器に手を伸ばした。果肉たっぷりのいちごのソースがかかっている。

「パーシヴァルがいなくなった」ジェームズはこれ以上重要な事はないといわんばかりの口調で言った。

「屋敷へ戻ったんだろう?いつまでもうちに居座られたんじゃ、目障りでしょうがない」

「彼は金を落とす。それに、屋敷へは戻っていない」ジェームズは額に掛かった髪を後ろへ撫でつけた。乱れていた髪は一瞬にして元に戻った。「公爵がパーシヴァルをどこでおろしたのか聞きたかったんだ」

「ホテルにでも行ったんだろう?だいたいあいつの役目はもう終わったんだ。どこで何をしてようが関係ない」

「パーシーはヒナのおじさんだよ」ヒナは上目遣いの視線をよこし、パーシーが心配と訴えかけた。

「そうだな」もちろん忘れてやしないさ。ヒナのなかにあいつと同じ血が少しでも流れていると思うと、嫉妬とは違う妙な腹立たしさを感じる。「ハリーに様子を見に行かせろ」

ジェームズは不満顔のまま無言で立ち去った。

いったいジェームズは何に腹を立てているんだ?

つづく


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迷子のヒナ 244 [迷子のヒナ]

お腹を満たしたヒナは、ジャスティンのひざを枕にして、ちょっとばかしうとうとしていた。

ヒナはおじいちゃんに嫌われていると、ぼんやりと思う。

『名前も知らない孫になど会う必要がない』

本当におじいちゃんはそう言ったの?

ヒナはアンディに訊きたかった。けどアンディは優秀な弁護士さんで聞き間違えをするはずがないし、もちろん嘘を吐くはずがない。だから本当なんだ。おじいちゃんはヒナの名前を知らないし、会いたくない。

悲しいな。

「ねえ、ジュス。お父さんとお母さんには会いに行ける?」

ジャスティンはヒナの髪の一束を指に巻きつけたり解いたりを繰り返していた手を止め、うーんと唸った。

ヒナは長椅子の上で寝返りをうって仰向けになると、ジャスティンの顔を見上げ目顔で尋ねた。

行けないということ?

ジャスティンはヒナの気持ちを配慮してか、優しく宥めるように「すぐには無理だろうな。手続きが済んでからか――」と言い、「もっとあとか……」と、もにゃもにゃと言葉を濁した。

「もっとあと?」それが何を意味するのか、いろいろな事に疎いヒナでも分かった。もっとあとは、ずーっとあとで、もしかするとずーっとずーっとあとかもしれない。「パーシーにお願いしてもだめかな?」こっそり、西の端っこにあるというその場所へ案内してくれないかな?

「いまはまだだめだろうな」ジャスティンの声には、いずれその時は来るという、期待のようなものが込められていた。ヒナの頭に手を伸ばし髪飾りの位置を直すと、ジャスティンはキスの代わりに指先を唇に触れさせた。

ヒナの身体に震えが走った。ジャスティンの指はヒナにとってあまりに魅力的だった。口を開けてくわえようとすると、指はサッと逃げてしまった。

「じゃあ……いいよって言われたら、ジュスは一緒に来てくれる?」

答えは決まっているのに、つい訊いてしまう。

「もちろんだ」

そう言われて、ヒナの頭の中では大玉の花火が打ちあがった。ヒューゥ、パパン!

つづく


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迷子のヒナ 245 [迷子のヒナ]

翌日、いつものようにバーンズ邸を訪れたアダムスは、よくない噂を耳にした。普段は噂なんかに耳を貸したりしないのだが、それが自分にかかわることとなれば話は別だ。

図書室で待つこと一〇分。定刻を少し過ぎた頃、ヒナが入口で一礼して部屋へ入って来た。

アダムスはヒナの礼儀正しさが好きだった。ちょっぴり遅刻をしてきたとしても。早く来過ぎる自分が悪いのだ。

「先生こんにちは。歯医者さんどうだった?お母さん泣いた?」いきなりの質問攻めにアダムスはたじろいだ。

「こんにちは、ヒナさん。昨日はありがとうございました。無事歯医者に行ってきましたよ。僕は外で待っていましたけどね」アダムスはおもわず身を震わせた。歯医者という忌まわしい場所を思って。「母は泣かなかったようですよ」どちらかといえば憤慨していた。

「そうなの?歯医者は恐ろしいところだってジュスが言ってたから」

まさにそのとおり。

「ヒナさんはまだ歯医者の世話になるような事にはならないでしょうから、大丈夫ですよ」

「ヒナの歯は丈夫なんだって」

「へえ、そうなんですか」若いってすばらしいな。「では、ヒナさん。そろそろ席に着いてください」

最近は勉強時間よりもお喋りの時間が増えている。もしかするとそれが原因で、あんな噂が?ヒナさんに噂好きの男だと思われたくないが、思い切って訊いてみよう。

「それでその、ヒナさん……学校へ行くっていうのは本当ですか?」そうなったら僕は失業だ。それと同時に可愛い教え子も失うことになる。どちらも失いたくないっ!

「学校?」ヒナは何のことと首を傾げながら席に着いた。「ジュスがそうだって?」机の上の課題を押し退け身を乗り出す。この話題に食いついたようだ。

「あ、いえっ!ミスター・バーンズではなく、その……ちょっと耳に挟んで」アダムスは顔を赤らめた。完全に噂好きの男だと思われてしまった。

「学校、きらい」ヒナは顔を顰め、目を伏せた。

「そうなんですか?」予想外の答えにアダムスは半信半疑のていで訊き返した。どう見たってヒナは学校で人気者になるタイプだったからだ。けど、アダムスは日本の教育現場を知らなかったし、ヒナが黒髪に黒い目の輪の中では非常に浮いた存在で、それを受け入れるのは容易い事ではない事も、まったく想像できていなかった。

「ねえ、先生。もしもジュスが学校へ行かせようとしたら、先生反対して。『ヒナさんはアダムス先生がお気に入りなんです』って」ヒナはアダムスの声真似をして必死に訴えたが、アダムスが自分で『アダムス先生がお気に入りなんです』と言わないという事には気付かなかったらしい。

それでもアダムスは嬉しくて涙ぐんでしまった。僕はヒナさんのお気に入りなんだ。もしもヒナさんの嫌いな学校へミスター・バーンズが行かせようとしたら、全力で阻止してやるぞ!

と、そんなことには絶対ならないとは思うが。なぜなら、アダムスの雇い主は、アダムスの教え子が嫌がるような事は一切しないと決まっているから。

つづく


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迷子のヒナ 246 [迷子のヒナ]

ジャスティンは仕事場にいた。

ジェームズが休暇を取ったからだ。

あまりに突然のことで、これから行うはずだった館の改装工事が――まだ打ち合わせの段階だが――先延ばしになってしまった。

ということで執務室にいはしたが、いまのところ何もしていないという状況だ。

ただ思案はしていた。かなり頭を悩ませていた。ここはヒナにとってあまりに教育上よくない場所だ。クラブが発足したころに比べると、この館も随分と洗練されたものになったが、それでもここにはヒナに見せていいものなどひとつもない。

「ジュス~」

ここで聞くべきではない、ヒナの陽気な声がした。ジャスティンが顔をあげると、ヒナが重いドアを押し開けて顔をのぞかせていた。

「な、なにしてる!なんでここに?どこを通って来た?」くそっ!誰も止めなかったのか?

ジャスティンは勢いよく立ち上がると、次の瞬間にはヒナを腕の中に収めドアを蹴り飛ばしていた。バタンッ!と階下に響くほどの音を立てたドアは、あまりの衝撃にしばらく震えるように揺れていた。

「勉強終わった。アダムス先生が、明日は楽器を準備しておいてくださいって」ヒナはまったく悪びれる様子もなく一方的に告げた。ジャスティンの問い掛けはすべて無視したようだ。

おかげでうっかりジャスティンもヒナの話に乗ってしまう。

「楽器?音楽の授業か?どんな楽器がいいんだ?」

「うーん。わかんない。ヒナ、草笛しか吹いたことないから」

「草笛……」

「うん。でも、ブーッしか言わないけど」

それは、吹けていないのではないか?という疑問が頭をかすめたが、あえて口に出す真似はしなかった。

ジャスティンはヒナを少し前まではベッド代わりにしていた長椅子に座らせると、ベルを鳴らした。

「ヒナ、何か飲むか?」

「ココア飲みたい。それからジャムクッキーが欲しい」

「おやつは食べなかったのか?」まさかそんなことはあるまいと、目を丸くして尋ねる。

「手紙を書いてからすぐに来たから、まだ」ヒナははらぺこのおなかをさすって、ぺろっと舌を出した。

あまりに挑発的な仕草だ。たちまちジャスティンは、ヒナのピンク色の舌に吸い付きたくなった。「手紙?」とやっとのことで訊き返したときには、声は擦れていた。

「先生が手紙の書き方を教えてくれた。だから、おじいちゃんに手紙を書いたの」

欲望に目をぎらつかせるジャスティンに、ヒナはいたって真面目な顔で答えた。

「そうか。じゃああとでホームズに出すように頼んでおこう」ジャスティンも真顔で応じる。

「だめっ!練習だから。それに、おじいちゃんはヒナのこときらいだから……いらないって言う」ヒナがめそめそ顔になる。気丈に振る舞っていても、かなりショックだったことには変わりない。

「そんなことはないっ!」と口をついて出る。すぐさま安易に否定するべきではなかったと後悔したが、もう遅い。いつかあの無慈悲な老人が、ヒナを受け入れてくれるのを待つほかない。「時間はかかるだろうが、きっとおじいちゃんはヒナの手紙を呼んでくれるさ」死んでいなければな、と胸の内で悪態を吐いた。

「そう?じゃあ、ヒナがんばるね」

めげないのがヒナのいいところだ。

つづく


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迷子のヒナ 247 [迷子のヒナ]

「それで、なんでここへ来た?」

ジャスティンはありったけの威厳をもって、ヒナにここへ来てはいけないという事を思い出させようとしたが、ヒナは目下ジャムクッキーに夢中で上の空の返事すらない。

はははっ……。これもいつものことだ。ヒナは一応だが使用人通路をこそこそとやって来たようだし、いちいち腹を立てていたのでは身が持たない。

ジャスティンは何事も口にしなかったかのように、熱いコーヒーを啜った。

「ねえ、ジュス。ヒナ学校へ行くの?」

「学校?」そういえばそんな話を昨日ジェームズとしたな……。だがなぜヒナの耳に?「誰から聞いた?」

どうやらうちには、無駄口を叩く使用人が腐るほどいるようだ。その口を閉じさせるために、少々手荒に締め上げる必要がありそうだな。

「学校行きたくない。アダムス先生がいい。先生は優秀だから」

ジャスティンは目を細め、訝しむようにヒナを見た。ヒナはなかなか手ごわい。質問にはまともに答えないし、答えたとしても自分に都合のいいごく一部分だけだ。

「言わされているのか?」あのくそ忌々しい家庭教師に。

「違う」ヒナは口を尖らせた。

「学校の事は、手続きが全部済めばそういう選択肢もあると話していただけだ。ヒナが行きたくないというなら、もちろん行かせたりしない」それにジャスティン自身、反対だった。ジェームズはそうするべきだと主張したが、ヒナを目の届かない場所に送り出すなど言語道断だ。

しかもヒナが日本へ帰らなくてもいいという結果が出なければ、ここで学校へ通うこともジャスティンの屋敷でヒナの言う優秀な家庭教師に学ばせることも叶わないのだ。

日本へ代理人が派遣されるのは、この国での手続きが終わってからだ。おそらくすべてが片付くまで半年はかかるだろうが――漠然とした予想だが――その間、むやみに怯えて過ごす気はない。ヒナを手放さないための方法も考えている。その方法については、まだヒナの了承を得ていないが。

「ほんと?」ヒナはそう言って、やっとココアのカップに手を伸ばした。そろそろと冷めていることを確かめるように口をつけると、ごくごくと豪快に喉を鳴らしながら飲み干した。

ジャスティンは思わず頬を緩めた。「ああ、本当だ。わざわざそれを訊きに来たのか?」

「会いたかったから」ヒナは念を押すように言った。それが一番の理由で何が悪いの?とでも言いたげだ。

ジャスティンはヒナを膝に乗せると、唇の上のココアを舐め取った。言うまでもなく唇は重なり、ヒナは身体を震わせ囁くように呻いた。

もっと激しくしてもいいという承諾の呻きだと判断したジャスティンは、ヒナの唇が擦れて赤く腫れるほど、濃厚なキスをたっぷりとおみまいした。

つづく


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迷子のヒナ 248 [迷子のヒナ]

ジェームズが休暇を取ってすでに一週間が過ぎようとしていた。

特に日数を決めていた訳ではないが、あまり長く休まれると仕事に支障をきたしかねない。数字を見るのもそろそろうんざりしてきたし、なによりヒナとの時間が減っていることに我慢できなくなってきた。

以前は朝と晩、ヒナの顔を見るだけで充分だったのに、いまでは昼夜問わず身体のどこかに触れでもしていないと気が済まなくなっている。

小さくて柔らかい身体は腕の中に収めるのにちょうどいい。最近ではヒナお気に入りの髪飾りに顎を攻撃されっぱなしだが、ちいさな顔を囲むふわふわの髪は指を絡めて遊ぶのにちょうどいい。

ああ、早くあの甘くてみずみずしい唇を味わいたい。

「旦那様、ジェームズ様がお戻りです」

ジャスティンの夢想を打ち破るのを得意とするホームズが、穏やかな声に狼狽を滲ませ書斎へ入って来た。

ヒナの愛らしい唇はひとまずお預けだ。

「やっとか。で、お前は何に驚いている?」

「それが……クロフト卿も一緒でございます。二人とも、あまり清潔とは言い難い姿をしております」とホームズ。

「匂うのか?」想像して思わず鼻筋に皺を寄せた。

「においというよりも、薄汚れているとでも言いましょうか、おそらく着ているシャツはジェームズ様が出掛けられた時から一度も取りかえられていないと思われます」ホームズは信じられないとばかりに小さく首を振った。

「随分と持って回った言い方をするな。ひとこと、薄汚い恰好とでも言えばいいだろう?それで、ジェームズは顔を見せる気はあるのか?」

「一旦身なりを整えてから顔を出すそうです」

「パーシヴァルは?」

「同じくです。ジェームズ様があの方をお連れになった理由は存じませんが、ひどく怯えた様子で片時も傍を離れようとはしませんでした」

片時も傍を離れようとしない?

「それは誰が誰の傍を離れようとしないのだ?」

「クロフト卿がジェームズ様の傍をでございます」ホームズは背筋を伸ばしキビキビと答えた。

その逆でなくてよかったとジャスティンは安堵した。パーシヴァルの綺麗なものに対する執着は昔からだった。宝石であれ馬であれ、男であれ。だからジェームズに目を奪われるのは当然のことだ。

対照的にジェームズは何にも執着しない男だ。手にしたものを奪われても傷つかない為だとジャスティンは思っている。あいつは幼くして多くのものを失った。目に見えるものだけではなく、目に見えない自尊心さえも。

それなのにジェームズは、行方が分からなくなった――と思い込んでいた――パーシヴァルを、休暇を取ってまで探しに出掛けた。帰宅した様子から思い込みではなかったようだが、あきらかにジェームズがパーシヴァルに何らかの感情を抱いていると思わざるを得ない。もしくは何らかの責任をか。

どうせパーシヴァルがまた厄介事を引き起こし――今回はブライスとの別れ話のもつれだろうが――、それにジェームズが巻き込まれたのだろう。

しかし、なぜジェームズがという疑問が残る。

「パーシヴァルにもここへ来いと言え」そろそろお仕置きが必要だ。

つづく


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迷子のヒナ 249 [迷子のヒナ]

「あれれ?パーシーなにしてるの?」

随分と軽い『あれれ』が、四方をブルーとホワイトのヴィクトリアンタイルに囲まれた浴室内に響いた。

「わっ!ヒ、ヒナこそここでなにをしている?」のんびりとではないが、心ゆくまで檜風呂を堪能していたパーシヴァルは、慌てて首まで湯の中に沈めた。ヒナはいつも突然だ。

「通りかかったから、覗いてみた」

まるで縄張りを巡回する雄猫のようだ。侵入者の匂いを嗅ぎつけたか?

「見ての通り入浴中だから、そこのドアを閉めてくれるとありがたいな」パーシヴァルは引き攣りながらもなんとか微笑んだ。

「タオルいる?」

き、聞いていないっ!

「まだいいよ」髪の毛が泡だらけなのが見てわからないのだろうか?パーシヴァルは困惑気味にヒナを見上げた。湯に首まで浸かる事に慣れていない為、早くものぼせてきた。

「背中流す?ヒナおじいちゃんとよくお風呂一緒に入ったんだ」そう言ってヒナはいそいそと服を脱ぎ始めた。あらわになった素肌にはいくつか馴染のある鬱血痕が見てとれた。パーシヴァルは柄にもなく赤面した。ちょっぴり羨ましくもあった。

ヒナは愛されて、そのしるしを身体に刻まれている。

自分はというと、愛とは無縁の汚らしい感情で身体に無数の痣をつけられた。自信たっぷりに見せつけられる痕はひとつとしてない。

「パーシーどこ行ってたの?ヒナ待ってたのに」

やっとヒナがドアを閉めた。きゅっと締まったお尻を振って、脱いだ服を拾い上げる。隅に置かれた椅子の上にそれらを丸めて置くと、浴槽の淵まで来て湯の中に手をそっと差し入れた。
納得したように頷くと、両手で湯をすくい、ぱしゃぱしゃと胸元に浴びせかけ、それから遠慮なしに湯船に首まで浸かった。編んで後ろでひとつに束ねられている髪も一緒に。

「待ってた?どうして?」パーシヴァルはヒナの突飛な行動を無視して尋ねた。もしもこの現場をジャスティンに見られたら、などとは考えないようにした。結果はとても恐ろしい事になりそうだったから。

「おじいちゃんのこと聞こうと思って……。アンディはおじいちゃんはヒナに会いたくないって言ってたけど、本当?おじいちゃんは――あれ?パーシーそこどうしたの?紫になってる」

ヒナがとうとうパーシヴァルの身体のおかしな部分に気付いた。指を差しながら痣の数を数え、とりわけひどい鬱血痕を発見した時には、ヒナの瞳が恐怖に見開かれていた。

経験の浅いヒナにも、愛のしるしとそうではないものの区別がつくようだ。

「誰がそんなことしたの!」ヒナが怒りに声を震わせている。穏やかなヒナの眉が吊り上るなど誰が想像できる?ジャスティンは知っているのだろうか?

「ヒナは気にしなくていいんだ。もう平気だから。ジェームズが……ジェームズが助けてくれたから」パーシヴァルは声を詰まらせた。ブライスに囚われた時、もうすべてが終わったと、終わりにしたいと思った。けれど愛しのジェームズが、僕を嫌っているはずのジェームズが、なぜか助けに来てくれた。

ジェームズはなにも言ってくれないが、ブライスとなにか取引をしたに違いない。そうでなければあの卑劣な男が僕を解放するはずがない。

「ジャムが?」

ヒナが驚くのも無理はない。僕だってほんとビックリなんだから。とパーシヴァルが思っていると、ヒナが意外な言葉を続けた。

「帰って来てるの?」と怯えたように言う。

そっちかっ!とつっこまずにはいられなかった。

つづく


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迷子のヒナ 250 [迷子のヒナ]

心配してくれる身内がいるのはいいものだ。

入浴中にずかずかと押し入ってくるような子だけれども。勝手に裸になって、勝手にちゃぽんと湯に浸かり、勝手に痣の数を数えて怒ったりするけれども。

とてつもなくジェームズに怯える子だけれども……。

「あっ、パーシー大変!」

ヒナは突如立ちあがり、パーシヴァルの眼前に小振りな一物を突きつけた。

「今度はなんだい?」

パーシヴァルは視線をタイルの規則的な模様へと向けた。毛も生えていないむき出しの恥部に視線を置くのは、少しばかり気が引ける。これが金の叢から突き出たジェームズの一物なら、一秒たりとも視線を逸らせたりはしないのだが。

「ヒナの髪がびしょびしょ」ヒナは腰をひねり背中に垂れる尻尾の様な髪の毛を大きく振った。その拍子に水滴がパーシヴァルの顔面を叩く。

パーシヴァルは手の平で顔に滴る雫を拭い、「君が湯に浸かった時、そいつも一緒に沈んでいったけど?」と、当然の結果を告げた。

「なんで教えてくれなかったの?」ヒナはぷりぷりと言う。

パーシヴァルはそんな隙があっただろうかと考えてみたが、無論、なかった。これは断言できる。

「ヒナこれからおやつなのに」哀れな声を出し、ヒナは浴槽から出てタオルを頭からかぶった。

あ、それは僕のタオルなのに。そして早く支度を済ませてジャスティンの前にこの身を差し出さなければいけないのに。

このあとの事を思って、パーシヴァルは思わずため息を漏らした。ジャスティンは怒っているようだし、ジェームズにその怒りの矛先が行かないようにするためには、僕が怒られるしかないのだが……。

怒られる理由はまったく思いつかないが――むしろ僕は悪くないわけだし――、ジャスティンは大抵において僕に怒りの感情を抱いている。嫌われてはいないようだが、好かれてはいないし、同級生だという以上の何かは僕たちの間にはないのだ。男の趣味だってまるで違うし。

「パーシーも一緒に行く?」

おやつに誘ってくれるなんて、ヒナは優しいな。

「そうしたいけど、僕はこのあとジャスティンと話があるんだ」

「ジュスと?えー、いいなぁ。ヒナもジュスとお話しながらおやつにする」

それは無理だと思う、とは言えず、パーシヴァルはヒナが差し出す使い古しのタオルを受け取った。

濡れたタオルで身体を拭く不快さも、ジャスティンの説教に比べればなんてことない。いつも僕を見下す傲慢な男。ジェームズがいなければ、ヒナがいなければ、絶対にかかわりたくない男だ。

「ジェームズも一緒だよ」ヒナに僕の情けない姿を見られたくない。裸はすでに見られてしまったけれども。

「ヒナ、ひとりで大丈夫。じゃあね、パーシー」

ヒナは来たとき同様、あっという間に消えた。

つづく


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